荒川豊先生インタビュー(その3)

行動変容学の可能性

【ーー】  これは事前にお送りした4つ目の質問とも関係しますが、今、お話しされたような話に関しては、エンジニアプラス、例えば心理学者だったり、認知科学者だったり、経済学者だったりの人間行動に関しての知見と、さらに、倫理学者の知見と、それらを全部引っくるめて考えていく必要があると。
【荒川】  はい。なので、私、大学の中に今、2021年10月から他分野の先生を巻き込んで行動変容の総合な研究をする研究ユニットを立ち上げています。健康だけではなく、SDGsやカーボンニュートラル、街作りなど、さまざまな活用先があると考えています。そういうところをITで支援することもできるし、心理学的な支援もあるだろうし、経済学的な考えもあるだろうということで、何かみんなで議論する場があったらいいんじゃないかなと考えています。2022年4月1日には、大学の正式な研究ユニットとなり、学際的な研究を支援してもらっています。
【ーー】  すごいですね。
【荒川】  行動変容の研究に対して、学内予算もつき、准教授と助教を追加できました。九大としても人文系の先生と工学系の先生をつないでいきたいと考えているようで、私のような情報系でありながら心理学とかにも興味がある人や、芸術工学分野の先生方が活躍し始めています。芸術工学も、感性に訴えたりする部分が多いのですが、結局、感動させることも含めて、人間をどう動かすかが最終的なゴールですので、計測の部分で情報の教員がサポートするなどコラボレーションがスタートしています。
【ーー】  それは非常に興味深いですし、似たような試みは今後いろいろなところで出てくるのかもしれませんね。
【荒川】  そうですね。
【ーー】  行動変容という大きいトピックをメインテーマにして、情報テクノロジーを使うのも1つのルートだし、あるいはナッジみたいなものもそうだしという。
【荒川】  そうです。本当に費用対便益の問題で、ITを使えばお得なところもあるんですけれども、一方で、例えばトイレに貼ったハエのマークみたいにシール1枚でトイレ掃除が楽になるみたいな、ああいった仕掛けもあります。シール1枚のコストが非常に安いのに便益が高いので、そこにIT技術を使い、トイレにセンサをつけて、もう一歩前に立とうみたいなのを音声で言うみたいなシステムは太刀打ちできません。学会としては多分発表できるんですけれども、社会では受入れられない。コストが見合わない。
 IT技術の中でも適材適所があります。日常生活で気づきを与えるといったときに、ポケットの中のスマホへのプッシュ通知であれば、多数の人の送ることは容易です。一方、街角にサイネージを置くと、自然と目に入るという利点がある反面、多くの人に見てもらおうと思うとコストが膨大になります。さまざまな情報技術やアナログな手段も使い分けしながら、適用領域をちょっとずつ増やしていって、何かデザインする手法とかまで作れるといいのになというぐらいに考えています。
【ーー】  なるほど。そういう意味では、純粋に工学の研究としてはより広い可能性があるかもしれないけれども、実際に社会実装していくとき、行動変容の社会実装という枠組みで考えるときには、ITを使うのがいいのか、そうでない、もう少し古典的な、単純な方法がよいのかというのも込みで考えていくと。
【荒川】  だと思います。
【ーー】  なるほど。
【荒川】  マイバッグみたいなのは政策的にやったほうが全国でできて、「えいや」ですよね。要するに有料化したり、義務化したり、プラスチックのフォーク類の配布廃止や紙ストローなどは半強制的に変わった感じがします。一方で、みんなが意識的にマイバッグのほうがいいよねと持っていく説得的な方法も、本当は模索してもよかったのかもしれないのですが、日本の場合は強制的にやってしまったという感じですよね。

【ーー】  その辺りは、人文科学、とくに倫理学や政治学でも、強制と、もうちょっとナッジ的方法の長所、短所をどう考えるかということは論じられ始めています。
【荒川】  行動変容的には、コロナの外出自粛って何か振り返ってみると、とても面白くて、外出自粛って2年前に言われたじゃないですか。世界的には、行動制限は受入れられなくて、出歩く人がいて、結局、法律的に処罰したり、取り締まるなど強制的にやった国が多かったと思います。一方、日本は結局、今もそうですけれども、国民への自粛願いですよね。外出自粛も、とにかく要請、要請ばっかりで、時短営業も要請、要請で、何か無視してやった業者がもうかるじゃんかみたいな、常にその火種は残っているんですけれども、当時は何て無能な政府だとか、みんな多分思っていたと思います。その後、何度か、波が来るわけですが、ルールが緩和されると一気に広がり、再度強制という国がある中で、2021年の日本ではそれほど大きな波がなかったように思います。みんな手洗い、うがいはちゃんとするし、店は消毒されているし、マスクを外している人はほとんど見ないよねという、これって行動変容的には結局、自分で行動を選択したことが行動の持続に効いたのではないと感じました。海外のように強制されると、自分で選んでいるわけじゃないので、すぐに元の行動に戻るんだなと感じます。日本では、ワクチンを打つも打たないもそれぞれが判断していますし、マスクもある程度同調バイアスが強い日本なので、みんなつけているから、一応、つけているというのもあるでしょうけれども、防衛的につけたほうが安全だよねとみんな思っていて、納得してそれを受け入れているのではないかと思うんですね。
 時短とかも、飲食店も、もうある程度切り替えちゃったし、オンライン講義もある程度メリットもあるよねということで納得して受け入れている部分もあって、在宅が楽だなと思うことも結構あるじゃないですか。これ、強制的に在宅とかって言われるより、自分で納得して選んでいるほうが持続率は長いなとというふうに観察していました。
【ーー】  確かに日本だと、ある日を境にみんなマスクを外すというのは、なかなか想像できないですね。
【荒川】  そうなんですよ。当面は、一時、普通に継続するだろうという感じじゃないですか。別に要請されなくても無駄な飲み会は行かないし、行ってもちゃんと消毒しようとか、体温を測ろうとかやっていますよね。これというのは、ある程度、政府は無能なんですけれども、多分、行動変容とか考えていないんですけれども、何か説得工学的には恐らく、僕らは納得して受け入れているので、放っておいても持続するという状態に入ってしまっているんじゃないかなと。
【ーー】  結構、興味深いデータなわけですね。日本の現状は。
【荒川】  そうなんですよ。測れていないんですけれども、お願いベースで供試しなかった場合、反応率は遅いんですけれども、結果的には持続しているのではないかなという気はしていて、なので、行動変容の工学的には悪くはなかったんじゃないかなという気がちょっとしたという感じですね。
【ーー】  やはり、行動変容を考えるには、かなり広い視野で、人間行動というか、人間の心理の在り方とか、あるいは社会性とか、いろいろなことを総合的に考えていく必要があるわけですね。
【荒川】  あると思います。はい。接触確認アプリCOCOAは、あまり普及しないまま終わってしまいました。技術的には優れているにもかかわらず、信頼を勝ち取れなくて、全国民が入れておいたほうがいいよねと思えるシステムにならなかったのは何でなんだろうか、本当、後追い検証をした方がいい気がしています。経済学的なのか、心理学的なのか、哲学的なのか、人間はトラッキングされたくないみたいな根本があるのかもしれないですけれども、自由を求めるという人間の根底にあるものと、やっぱりずっとトラッキングされているというのは相反しているので、幾ら匿名だよとかといっても信じ切れない。何かそういったものがあったのかもしれない。この辺も社会学的には分析すると面白いんじゃなかろうかなと思ったりしていますね。
【ーー】  そういう意味では、行動変容学というのか、どういう名称になるのか分かりませんけれども、そういう大きなプロジェクトという観点からすると、人文系の人が貢献する余地もかなりあると。
【荒川】  めちゃくちゃあると思います。
【ーー】  むしろ、これからどんどん必要になっていくという感じなのですね。
【荒川】  どんどん必要になると思いますね。
【ーー】  それは非常に心強い話です。
【荒川】  日本のアカデミックは、特定分野を深掘りすることを良としていてサイロ化していて、学会には行くが社会実装は企業にお任せという形が大半です。大人数での社会実験などはどうしてもアカデミックではしずらいというのもあります。例えば、情報系の研究者の中で、それが社会に浸透した際の、心理とか倫理とか、社会受容性とか、そういったものまで考えている人があまりいません。私自身も、企業との共同研究を通じて、企業側からワークエンゲイジメントで有名な島津先生を紹介いただくまでは、人文系の先生とのコラボレーションは全くありませんでした。それから、メンタルヘルスやウェルビーイングなどの研究に関わることになり、他の分野の先生のいろいろ考えを知ることできました。コロナウイルスは、多くのアカデミアの人にとって、上記と同じようなことを考えるきっかけになったのではないでしょうか。
【ーー】  そういう意味では、コロナにまつわる行動変容というのは、問題意識を高めていると。
【荒川】  そうなんですよ。だから、私がたまたま、先に行動変容の研究をスタートしていましたが、今後おそらく、コロナを経て行動変容の研究を始める情報系の先生が増えてくれると思います。情報処理学会に4月から、行動変容に関わる研究会も新しく立ち上がるので、ちょっとしたブームは来ています。ただ、そうは言ってもやっぱり、ウェアラブルで個人の健康増進みたいな研究が中心で、社会全体の健康といった大きな社会課題を取り扱う研究者はあまりいないという状況です。私は運が良いことに、大学から全面的なバックアップを獲得し、多数の企業と共同研究が始まり、大きな社会課題に対する行動変容の研究ができているんですけれども、なかなか大学のいち研究室で取り扱うには難しい問題なのかなという気はします。
【ーー】  4月からその組織がうまく動いていくと、日本で初めて本格的にそういうことを科学的にやる試みになるわけですね。
【荒川】  そうです。そういう拠点から、おそらく、ほかの大学も、大学として取り組まないといけないと考える大学が増えていけば、それぞれの地域でいろいろなそういうテーマが広がるのではないかと思います。
【ーー】  これはいろいろなところの見本になる感じですね。

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