荒川豊先生インタビュー(その1)

現在の人工知能がもっとも威力を発揮するのはビッグデータの分析ですが、そこにはさまざまな応用の可能性があります。その一例として、センシング技術を用いたデータ収集とその分析がご専門で、さまざまな社会実装にも取り組まれている九州大学の荒川豊先生にお話しをうかがいました。

さまざまなセンシング技術

【ーー】  今日は九州大学の荒川豊先生にお話を伺いたいと思います。
【荒川】  よろしくお願いします。
【ーー】  荒川先生は、人間にセンサをつけて、そこからデータを収集して、機械学習を使ってそのデータを分析するということをいろいろな領域に応用する研究をされていて、今までにお話を伺った方とは、やや違ったタイプの研究をされています。そこで、いままでとは少し違ったお話がいろいろ伺えるのではないかと思っております。
 まず、荒川先生がいままでどのようなことを研究されてきたかを簡単に教えていただけますでしょうか。
【荒川】  センサといっても、人間につけるセンサや環境につけるセンサがあり,それらを活用して人間の行動を測りたいと考えています。例えば、環境という意味だと、宅内にセンサを設置して、高齢者の転倒を検知するなど、スマートホームと呼ばれる研究をやっています。一方で、常時身につけることができるウェアラブルと呼ばれるセンサが一般化してきています。人にセンサをつけて常時、データが取れるということから、動きに着目し、スポーツのセンシングなどについても研究してきました。
 そのウェアラブルにおいて、心拍数や、発汗など様々なものを測れる生体センサが広がってきています。しかも、1度の充電で、1週間から1ヶ月程度動作するデバイスも登場しており、人間の動作や生体情報をずっと取り続けられるようになっています。皆さんの中にも、すでに睡眠計測をされている方もいらっしゃると思うのですが、それくらい誰もが手軽に計測可能になっています。
 そこで、こうしたウェアラブルセンサを活用し、この数年、メンタルヘルスの推定に取り組んでいます。メンタルヘルスの状態は、現状、産業医の先生が質問票で計測しているのですが、何とかウェアラブルのセンサで推定できないだろうかと考えています。さらに、こうした推定技術が進んだ先の研究として、人の行動を先回りして、例えばもっとイキイキ働くための行動を促すなど、今は介入のところに興味が湧いてきています。
【ーー】  ありがとうございます。いまのお話しについてもう少し詳しく伺っていきたいと思います。まず、どういう経緯を経て現在やられているような研究に至ったのでしょうか。
【荒川】  私の経歴は少し変わっていまして、30歳までは、光通信の研究をしていました。フレッツ光など光回線は当たり前になっていますが、学部生から博士、最初の助教時代まで、その通信の高速化や品質保証に関する研究に取り組んでいました。
 しかしながら、実は裏の顔がありまして、学生の頃からちょっとしたソフトウェア開発のベンチャーみたいなことをやっていました。そのため、助教をしているときも、週4勤務として、残りの1日はベンチャーで働くという状態でした。ちょうどその頃、2008年にiPhone 3GSが発売され、iPhoneアプリで儲かった学生たちがニュースに取り上げられており、時代はアプリだな、スマホだなと思って、30歳を機に研究分野を大きく変更することにしました。ソフトウェア工学分野の公募にトライして採用されたのですが、そこにいらした先生が、屋内位置測位や行動認識といったユビキタスコンピューティングに関する研究をされていまして、助教として色々と勉強させていただきました。その後、准教授として、奈良先端大に着任し、そこで現在の研究の土台ができました。ちょうど、IoT(Internet of Things)のブームが来たため、さまざまな企業と共同研究を実施することになり、その中で労働者の心身状態の推定というテーマなども開拓しました。経歴としては変わっているんですけれども、もともと人に売るためのサービスを作っていたので、根底には、何かサービスを作りたいみたいなところがあります。そのため、アプリを作ったり、システムを作ったりしながら研究を進めてきました。
【ーー】  なるほど。そこでスマホであったり、個人のデータをいろいろと集められるセンシング装置を使ってやれる面白いことにいろいろ取り組まれているという感じでしょうか。
【荒川】  そうですね。はい。
【ーー】  スマホからスタートして、今はもっと目的に応じたいろいろなセンシング技術があるので、それを使ってやられていると。
【荒川】  そうですね。一度は、オリジナルのウェアラブルセンサを作ったりとかもしました。しかしながら、コスト面で考えると民生品は太刀打ちできません。現在は、技術の社会実装も重要になってきており、普及という観点でもセンサを選ぶ必要があります。
 そのため、専用のデバイスを使ったラボでしかできない研究よりも、ある程度誰もが手に入るデバイスを使って一般人からも広くデータを取り、何らかの関係性が見いだせるようなものが研究として面白いなと思っています。ただ、大学だけでは実施することが難しいので、現在は、企業の方に協力してもらって、毎年100名にウェアラブルセンサを配布し、計測すると行ったことを4年間実施しています。
【ーー】  つぎに、現在の専門になられてからこれまでやられてきた研究で、代表的なもの、あるいは面白い研究を幾つか紹介していただけますでしょうか。
【荒川】  さっきお話したオリジナルのハードウエアを開発したことは、私にとって楽しい研究でした。小指サイズの基板に、8個のセンサを搭載し、いつでも、どこでも何でもセンシングできるセンサボードを作っていました。そのボードは、東京の企業と大阪の企業から実際に市販されて、今も大阪の企業が販売しています。
 そういうハードウエアを作って実験するという研究は、結構面白くて、今日、ちょうどその発展型として、バッテリレス化したセンサの発表をしています。サラリーマンは、名札を常時つけている人が多いので、名札に行動認識のセンサと太陽電池を搭載し、バッテリレスで就業中のライフログを計測できるシステムを開発しています。
 あともう1つ面白い研究として、スマートフォンで街中をセンシングするといったときに、大人数をどう巻き込んでいくか、長期間に渡って参加してもらうにはどうしたらよいかというところで、ゲーミフィケーションやインセンティブの制御に関する研究に取り組んでいます。スマートフォンで街中をセンシングする事例としては、街中の公園内の遊具情報をデータベース化するという活動を実施しました。実はブランコやシーソーなど動く遊具が設置された公園は年々減っています。鉄棒も殆どなくなっています。しかし、そうした情報をGoogleで検索することはできないため、市民が街歩きをして情報を集めようという活動があります。Civic Techと呼ばれるのですが、市民のモチベーションをいかに維持するかが難しいことから、ゲーミフィケーションやインセンティブの制御に関する研究が重要になっています。
 九大では、2020年から、コロナ禍における混雑回避を題材として、同様の研究を行っています。駅やバス停、バス車内、食堂など、混雑する場所にセンサを設置し、ユーザに対して混雑回避を促しています。そこに、ゲーミフィケーションとインセンティブ制御を加えることで、いかに少額のインセンティブで楽しく行動を変えてもらえるかにチャレンジしています。その中では、通知メッセージの文章に心理学の知見に基づいたナッジも導入し、文言を変えるだけで、いかに多くの人の行動が変わるかにんついても検証しています。この実証実験には、2021年の時点で1,650人超の学生がモニターとして参加しています。我々は、1,650人のモニターの反応と混雑度情報に基づき、混雑してきたら、食堂に行く時間をシフトする行動に対してポイントを付与し、食堂の混雑が緩和されるかどうかを検証しています。私の中では、紹介したこういう2つのテーマ、ハードウエアのセンシングの部分と、あとは大規模な人数を巻き込んで行動を変えていくとか、楽しみながら何かに協力してもらうというシステムを作ることが面白いと感じています。
【ーー】  センシング装置で実際にデータを集めて分析するというのが一番メインの研究だとすると、その前にまず場合によっては必要なハードウエアを開発するということがあり、他方で、さらに応用のほうで、実際に人間の行動を変容させるということにどうつなげるかということもあると。
【荒川】  そうですね。だから、結局、行動認識というとデータが命で、データをどう取るかというところが重要になります。多分、抽象化すると分かりやすくて、例えば、超小型のセンサを開発することができれば、今まで計測できていなかったデータを取得できる。実際、超小型センサを開発して、お箸の中、ベルトの中、剣道部の竹刀の中、卓球のグリップの中など、いろいろなところに埋め込みました。スマートフォンが入れないようなところにセンサを埋め込むことで取れていなかった世界が見えるようになりました。
 別の軸で、取れていなかったところを計測するという意味では、例えば時間軸で長く取るとか、地理的に大きく取るとか、大規模に大人数から取る、なども考えられます。そのためには、ゲーミフィケーション、インセンティブ、ナッジをうまく使って人を巻き込んでいく必要があります。
【ーー】  それを徹底的にやっていこうとすると、ハードウエアの開発から人間心理を理解するというところまで全部トータルでやらないと、やりたいことがきちんとやれないということになってくるわけですね。
【荒川】  そうなんです。企業であれば、商品化して何万人に配ってデータ収集ができるのでしょうが、大学の研究室だと両方はなかなか難しいですね。自分で作ったセンサを1,000人に配るなどはコスト面でまったくできません。一方、アプリであれば配れるので、大量に配布したいときはアプリ、細かく測るときはハードを作るみたいな、そんな感じになっていますね。
【ーー】  実際に具体的なプロジェクトでやられているときは、人数であったり、期間であったり、規模的に大きいものだとどのくらいになるのでしょうか。さきほどの混雑緩和の話だと1,500人くらいとおっしゃっていましたが。
【荒川】  そうですね。データの規模という意味で言うと、町中の動きを見ているので、データを買っています。例えば、ドコモのモバイル空間統計を使うと、1時間前の混雑度が分かるので、そこデータを用いて1時間後の九大キャンパスの混み具合を予測するという部分を作り、その予測に基づいて動的にポイントを変えていっています。実際に九大生としてアプリを利用している人は、1,650人となります。
【ーー】  両方組み合わせてということなのですね。
【荒川】  両方組み合わせて、そちらをやっているという感じですね。一方で、ラボ内でやっている実験というのは20人ぐらいでの実験評価が多いです。例えば、こういうウェブ会議やミーティング自体も行動分析の対象になっていています。コロナ禍の2年間ずっとこの辺のウェブミーティングを録画して、みんなの表情とか、うなずきとか、身振り手振りとかを解析するシステムというのを作っています。
【ーー】  なるほど。
【荒川】  これは、参加者は研究室のメンバーなので20~30名なのですが、セッションという意味では200セッションとかあって、この人の去年の状態から今年の状態までずっとセンシングデータとしては残っています。
【ーー】  ラボミーティングの記録ですか。
【荒川】  そうです。ラボの。全部のミーティングを録画するのは難しいので、その分野の研究をしている学生たち4、5人とやる会議は、全部録画して、うなずきを何回しているとか、笑ったねとか、瞬き多いねとかをアノテーションして、データとして貯めています。
【ーー】  なるほど。分析するといろいろと分かってくるものでしょうか。
【荒川】  そうです。数値化された情報(うなづき回数など)をフィードバックするシステムも作って、やたらとうなずいている人とかわかるようになっていたりします。他にも、CPUの使用状況をセンサとして活用して、内職を検知するシステムなども作っています。
【ーー】  その辺りは、何をセンシングするかによって思わぬものが見えてきたりすることもあるわけですね。
【荒川】  はい。アイディア勝負というところもちょっとあったりして、何かみんなが気づいていないところでセンシングしていくと、結構、面白いことが見えるのではないかと考えています。例えば、多分、先生のところでも研究の際に、大規模にアンケートを取られることがあると思います。我々は、そのアンケートサイトの裏側に少しコードを埋め込んで、設問ごとに、どこを読んだかとか、1度、3を選択したあとに4に変えたとか、問題を開いてから選択肢決定までの速度などを測ったりしています。クラウドソーシングで6,000人ぐらいの評価を行い、引っかけ問題に引っかかるような適当な回答をしている人をログだけで当てるようなことができるようになっています。
【ーー】  なるほど。質問紙調査、私もたまにやりますけれども、トータルの回答時間が極端に短い人とかははねますけれども、自分ではそれぐらいまでしかできないですね。
【荒川】  従来研究がトータルの回答時間と、あと引っかけ問題を入れるとか。
【ーー】  そうですね。はい。
【荒川】  繰り返し聞くアンケートって、やっぱりどんどん速くなってくるんですね。例えば、「今日のストレスどうですか」というのを毎日聞くような場合って、即答しちゃうみたいなところがあります。真剣に考えて、昨日よりちょっと良いと思ったりする場合であっても、そもそも昨日10件法の何番と回答したか覚えてないと言うことも往々にしてあります。それで面倒になって、毎日7と入力するようにしてしまう人もいます。このような光景を見て、そういう挙動も含めて、アンケートシステム上でセンシングするという着想に至りました。
【ーー】  その辺はまた後で改めて伺おうと思うのですけれども、やりようによっては、思わぬところからいろいろ分かってしまうこともあるわけですね。
【荒川】  はい。そうですね。意外なところでデータを取られているというところはある。

その2に続く

その3
その4