大塚淳先生インタビュー(その1)

大塚淳先生は、京都大学大学院文学研究科哲学専修の准教授で、生物学の哲学と統計学の哲学がご専門です。2020年に出版された著作『統計学を哲学する』では、統計学の哲学の観点から深層学習についても論じられています。このインタビューでは、統計学の哲学、あるいはより一般的な科学哲学の観点から見た深層学習の意義についてうかがいました。

生物学の哲学と統計学の哲学

【——】  今日は、京都大学の大塚淳先生にお話しを伺いたいと思います。大塚先生は、日本ではほとんど専門でやっている人はいない統計学の哲学がご専門の一つで、ご著書の『統計学を哲学する』では、統計学の哲学の観点から深層学習についても論じられていて、心の哲学や人工知能の哲学とはちょっと違った切り口から深層学習についても検討をされています。まずは、これまでどのような研究をされてきたかと、その中でどういう経緯で統計学の哲学に興味を持つようになったのかということを話していただけますでしょうか。
【大塚】  分かりました。御紹介、ありがとうございます。
 私はもともと、アメリカの大学院の博士課程では、生物学の哲学、特に進化生物学に関する概念的問題を扱っていました。生物学の哲学では、進化論で用いられる説明とはどのような類いの説明なのか、という議論があるのですが、その問題を考えるにあたって、まず現代進化論の理論的な核である数理遺伝学における数理モデルを理解したいと思ったわけです。そうした数理モデルは基本的には統計の用語で書かれていて、分散とか共分散とか回帰係数とかで書かれているものですから、じゃあ統計をしっかり理解しなければならないなと、という意識で統計を勉強し始めました。
 特に前述の哲学的議論の要となっていたのが、進化論的説明は単なる統計的なパターンを抜き出しているのか、それとも因果的な説明なのか、ということだったので、特に統計的説明と因果的説明というのはどういうふうに違うのか、ということに関心がありました。そこで、20世紀後半から出てきていた統計的因果推論の道具立てを用いて哲学的問題にアプローチしてきました。そのような次第で、進化生物学における統計モデル、因果モデル、数理的因果モデルという観点から統計に関心を持ったというのが、もともとの発端ということになります。
 そうこうしているうちに、統計的推論自体にも関心が出てきました。もともと進化生物学と統計学というのは非常に結びつきが強い分野で、現代統計学の祖であるフィッシャーやピアソンは同時に進化生物学者でありましたし、また現在の因果推論の基であるパス解析を提案したSewall Wrightも進化遺伝学者でした。こうした次第で、自然と統計的推論というのはどのようなものなんだろうという形で、統計学、ひいては機械学習へと関心を徐々にシフトしてきたというか、広げてきた、そんな感じです。
【——】  どうもありがとうございます。今の話についてもう少し具体的に伺おうと思います。まず、大塚さんはもともと文系のご出身ですね。
【大塚】  そうです。
【——】  大学院で生物学の哲学を本格的に学び出してから、統計についても本格的に勉強し始めた感じでしょうか。
【大塚】  そんな感じです。
【——】  実際、統計学に関しても科学哲学と並行して修士号を取られていますね。
【大塚】  はい。
【——】  どのような感じで勉強をしていたのでしょうか。
【大塚】  私は本当にド文系で、一応京大に入ったのですけれども、数学なしの後期試験で入ったという、それぐらい数学が苦手で学部時代も避けて通ってきたのですけれども、いざ哲学研究室に入ったら、周りは論理学とかどちらかといえば数理的なことをやっている人が多かったんですね。あと、恩師の一人の出口康夫先生が統計学の哲学をやっていらしたりしたので、論理学や統計学はようやくその時に少し触れ始めた、という程度です。
 でアメリカに行ってようやく、ちゃんとやらなければならないなと思って、付け焼き刃で線形代数から勉強を始めました。他にも統計学の授業についていくには微積やら確率やらプログラミングやら基礎から全部やらなきゃいけなかったので、最初はかなり大変でしたね。どれだけできたかは怪しいですが取り急ぎやった、間に合わせたという感じになります。
【——】  アメリカの大学院で生物学の哲学をきちんと勉強している人は、生物学の論文も当然読めなきゃいけないし、その背景にある統計的な手法も理解できて当然というところはあるのでしょうか。
【大塚】  実は、そうでもないんですよ。
【——】  そうなのですか。
【大塚】  哲学全体を見るとそうでもなくて、そこのところをしっかりやれている人はあんまりいないと思ったので、逆に言うとそれはチャンスなのかなと思いまして。哲学者はあまり数理的な議論の詳細を追っていないし、進化生物学の原論文も当然多少は読んでるけれども、最新のジャーナルに載っている論文をちゃんと確認しているわけではない。全員が全員そうではなくて、もちろんしている方はしているのですけれども、そうでもない議論も結構散見されたので、これは逆にチャンスかもしれないと思って、やってみたら案外うまく行った、というのが実情です。
【——】  なるほど。その点では、ある意味、日本で広い意味での科学哲学をやっている人たちとそれほど変わらないと。必ずしもみんなが、原著論文をちゃんと数式まで理解できるレベルでやろうというわけではないというのは、似たような感じなんですね。
【大塚】  そうですね。直接は比較できないかもしれないですけれども、そこの点はあまり変わらないような気がしますね。それは残念ながら現在もそんなに変わってないかな……、いや、最近は以前に比べたら変わってきたか。でも、アメリカだからどうというのは、そこまでないように思いました。ただ、アメリカの大学院の指導教員はElisabeth Lloydという先生だったんですけれども、彼女はもともと進化遺伝学で修士を取った人で、Stephen Jay Gouldとか、Richard Lewontinのお弟子さんなんですが、つまりもともと進化遺伝学畑の人だったので、そうしたところへの目配せというのはある程度あったほうがいいと指導をしていただきました。
【——】  なるほど。関連してもう一つ質問ですが、生物学の哲学との関連で統計を勉強しはじめたということで、とくに統計的因果推論のような比較的新しいテーマに最初からある程度興味を持っていたのではないかと思います。そういう意味では、より古典的な統計学の哲学や確率の哲学とはちょっと違うルートで興味を持ったという感じになるのでしょうか。
【大塚】  そうですね。実は、統計学の哲学を専門にしてると言ってしまっていいのかというのは、まだ私の中でも迷いがあって、いわゆる統計学の哲学プロパーな事柄について私はそこまで知らないんですね。そのような専門的トレーニングを受けたわけではないので、いわゆる古典的な統計学の哲学、ベイズ対頻度論とか、尤度主義とか、それこそ半世紀以上ずっと議論が重ねられてたトピックについては、実は、そこまで関心がないと言ったら失礼なんですが、あんまり熱心に追ってきたわけではないので、そういう意味ではあまり正統なルートではないような気がします。どちらかというと、現場の科学における統計学の使用とか、あるいは、最近の統計的因果推論と統計学との関係性とか、良くも悪くも現代より、応用よりのトピックから統計学にアプローチしているという形ですね。
【——】  現在の科学研究にとってのツールとしての、いろいろな統計学の手法やその有用性のほうにむしろ関心があるという感じですね。
【大塚】  そうですね。あとは、統計学と哲学的な問題との関係性、そういうことにも関心がありますが、それはいわゆる統計学の哲学と重なるところもあるけど、完全にそこと一致しているわけでもないなあという認識はあります。
【——】  あと、これはご著書全体との関連ということにもなると思うのですけれども、今お話しされたような経緯で統計学の哲学に興味を持って研究をしていく中で、大塚さんご自身が哲学的に一番面白いと思う点というのはどの辺りになりますか。
【大塚】  統計学全体ですか。
【——】  統計学に関して。
【大塚】  非常に難しい問題で……。
【——】  ちょっと漠然とし過ぎた問いではありますけれども。
【大塚】  いえいえ。これは一番面白い点かどうか分からないのですけれども、面白いなと思ったのは、統計学と哲学って、ある程度というか、かなり独立に発展してきているわけですね。もちろん、相互に関心、両方に関心がある人は当然多かったわけで、例えば、科学哲学の主要ジャーナルであるPhilosophy of Science誌の創刊号には、フィッシャーが統計学的な世界観についての論考をよせてたりするんですね。その後もベイズと帰納論理など、統計学と哲学はごく一部では関係し合っていたのですけれども、でも業界全体としては無関係に発展してきた。しかし振り返って見てみると、かなり発想が似ているというか、これは拙著でも書きましたけれども、両者の思考様式の間にはパラレリズム・並行関係があるというのが、私にとっては非常に面白い発見でした。
 まず動機として、帰納推論という、つまり与えられたデータからまだ与えられてないものについて推測をするという、非常に難しいというかどだい不可能な難題を何とかして解こうという課題がヒューム以降の哲学にはありましたし、また一方で統計学が推測統計でやろうとしているのはまさにそういう問題なわけで、そういう意味では目的は部分的に共有されているんですね。それを何とか解くためにどのようなアプローチがあり得るかということで、統計学では、例えばベイズなり、古典統計なりといった種々の立場が、哲学的認識論におけるいわゆる内在主義と外在主義という、経験・データ中心主義的な立場と、一方でより実在論的な、外の世界を認める立場にそれぞれ対応しているように見えてきて、それは非常に興味深いと思いましたね。人間、考えることは何らかのところで似ているというのは面白いところだなと思いました。
【——】  そういう意味では、知識形成、特に帰納的な推論によってどのように知識を獲得していくかということに関していくつかのアプローチがあるんだということが、じつは哲学と統計学の隠れた共通テーマ、問題関心だということなのですね。
【大塚】  そうですね。
【——】  それはある意味、統計そのものをやっている人にはあまり見えない、大きな構図なのかもしれないですね。
【大塚】  そうかもしれません。ただもちろん、統計学の専門家にもそうした哲学的背景を深く考えている方も当然いますし、また逆にそういうは嫌という人ももちろんいて、その気持ちもわかる気もします。またその中間の、嫌いじゃないけど別にそこまで関心ないという人もいて、グラデーションがあるのかなとは思います。

その2に続く

その3
その4