小野哲雄先生インタビュー(その1)

小野哲雄先生は北海道大学大学院情報科学研究院の教授で、ヒューマンエージェントインタラクションというユニークな観点から人工知能研究に取り組まれています。このインタビューでは、ヒューマンエージェントインタラクションの研究に取り組むようになった経緯や、近年取り組まれているナッジエージェントの研究についてうかがいました。

人工知能からヒューマンエージェントインタラクションへ

【−-】  今日は、北海道大学の小野哲雄先生にお話を伺いたいと思います。小野先生は、ヒューマンエージェントインタラクションという視点から人工知能研究に取り組まれています。まず最初に、これまでどういった研究をされてきたかということをお話しいただけますでしょうか。
【小野】  ご紹介いただいたとおり、今はヒューマンエージェントインタラクション(HAI)とか、ヒューマンロボットインタラクション(HRI)というような研究分野をやっているのですが、以前は、昔、人工知能ではやったような、人間の知能のモデル化とか、認知メカニズムのモデル化を研究していました。具体的に言うと、感情の計算モデルとか、言語進化の計算モデルとか、あと、ちょっと難しいのですが、自律性のモデルなどをやっていました。自律性のモデルは、その当時、人工知能の研究者が関心を示し始めていたオートポイエーシスシステムに興味を持って、モデル化をやっていました。ですから、いわゆる人間の知能、認知のメカニズムをモデル化するという意味で、感情とか、言語の進化とか、自律性を研究していたのですが、これは結構難しくて、人間の知能とか認知を計算モデルに落とし込むというのは、なかなか難しいのです。論文を書いたりはしていたけど、ある一定以上には進まなかったので、その後、さきほどお話ししたHAI・HRI、つまり、人を支援するインタラクティブシステム、人とやり取りして、人をサポートする、人間を支援するシステムのほうを研究としてはやるべきかなというふうに思いまして、そちらのほうに進んだというのが大まかな経緯になります。
【−-】  最初は、ある意味、もう少しオーソドックスな人工知能研究をされていたわけですね。人間の知能まるごとではないにせよ、ある重要な一部分を人工的にモデル化するという。
【小野】  私自身の研究は、あまりオーソドックスではありませんでしたが、多くの人工知能研究者も知能のモデル化に興味を持っていたと思います。人間の知能をモデル化したいというのは究極の目標かと思うのですけど、今お話ししたような研究をやっていたのは、いわゆるブームで言うと第2次AIブームの最中からその後半ぐらいのところで、ご存じのとおり、第2次AIブームがその後下火になるとともに、いわゆる古典的AIのある限界が見えてきたので、第2次AIブームの終わりとともに僕らの研究もシフトしていって、HAI・HRIに進んだというのが、正直なところです。
【−-】  それは、時代的には1990年代から2000年くらいでしょうか。
【小野】  そうです。おっしゃるとおり、1990年から1995~6年ぐらいまで、今お話ししたようなことを私もやっていました。その後、1996年、1997年ぐらいから徐々にHAI・HRIにシフトしていったということなのですが、私自身はわりとオーソドックスなAIの研究をやっていたように見せかけつつ、今お話ししたように、感情のモデルとか、言語進化のモデルとか、自律性のモデルみたいな結構変なことをやっていました。例えば、感情の計算モデルというのも、感情というのは明確なメカニズムがわかっておらず、計算モデルにもならないので、免疫のシステムのメカニズムを用いて、いわゆる「自己」と「非自己」のせめぎ合いみたいなのを計算モデルに落とし込んで、それを感情のモデルにしました。オーソドックスなテーマではあるのですが、方法論はちょっと変わっていたという意味でいろいろな先生に怒られたりはしたのですけど、というのが昔の研究のご説明です。
【−-】  なるほど。1990年代の中頃ぐらいというのは、人工知能研究全体としても、転換期だったのでしょうか。
【小野】  おっしゃるとおりだと思っています。いわゆる第2次AIブームがきゅっとしぼんでしまって、次のAIブームはもう来ないんじゃないかということを言っているような人がいて、なかなかブレークスルーが見つけられなかったというのも確かだと思いますね。
【−-】  そのタイミングで、いろいろな方向に向かう方がいらっしゃったのでしょうか。
【小野】  そうですね。おっしゃるとおりだと思います。
【−-】  古典的なアルゴリズムで頑張る人もいれば、ニューラルネットに行く人もいるという中で、小野先生は、HAIという、やや違う方向に着目されたわけですね。
【小野】  そうですね。いろいろなきっかけがあったのですが、僕は研究を始めたのはかなり遅くて、大学院で今お話ししたようなことはやっていたのですが、その後、京都のATRという研究所に行って、ヒューマンロボットインタラクションに興味のある方に巡り会ったというのもありまして、個体の中に閉じた人間の知能や認知というものではなく、環境とのインタラクション、他者とのインタラクションの中で知能や認知を考えようというふうに思ったのが、HAI・HRIを始めた理由です。その当時は、HAIということを言っている人はほとんどいなくて、HRI(ヒューマンロボットインタラクション)も、かなり早い時期に我々はやり始めたのかなあというふうに思っています。
【−-】  かなり早い時期から、古典的な人工知能研究とは違う方向を目標にして、人間とAIをセットで考えるという方向で研究されていたというのはかなりユニークかと思うのですけれども、ATRで研究交流されていたことも一つのきっかけなのでしょうか。
【小野】  そうですね。具体的なお名前を出しますと、今、慶應義塾大学にいらっしゃいます今井倫太さんとかは、慶應のときは安西先生の下で研究されていました。安西先生はかなり早くヒューマンロボットインタラクションのようなことをおっしゃっていて、安西先生の研究室でも研究をなさっていたということがあります。それと、HRIを始めた辺りで、今、大阪大学にいらっしゃいます石黒浩さんも入ってきてくださったというのは結構大きくて、以前の我々は、人間の知能、認知を考えることを割と孤立させて考えていて、ロボティクスの方も、ロボットを作ろうという目標でロボットの中に閉じ籠もったような形で研究や技術開発をされていましたが、僕らは人もロボットも、他者を含めた環境とインタラクションするというのが重要なんじゃないかなと思って、そこでこの3人でやり始めた辺りから、HRI・HAIは面白いことができるんだというふうに感じたというのは確かですね。
【−-】  今までいろいろな方にお話を伺った中では、人工知能研究とロボット工学研究というのは、意外と接点がない、学会などもそれぞれ独立にやっていて、両方にコミットしている方は意外と少ないという話を伺ったのですが、昔からそのようなところはあるのでしょうか。
【小野】  そうですね。私は、ロボット学会も会員で、人工知能学会も会員なのですけど、ロボット学会の学術講演会でもヒューマンロボットインタラクションというセッションがありますが、我々が考えているのとはちょっと違う感じの、ロボット視点で、人はほとんど入ってこない、ちょっとだけ人が関わるという感じす。人もロボットもエージェントも同じ仲間というか、同等で扱うようなのが理想かなと個人的には思うのですが、そういう意味ではロボット学会は少し違う。人工知能学会は我々もセッションをいくつかやってきたので、それに共鳴してくださる方が加わってきてくださっているのですが、先生がおっしゃるとおり、インタラクションをメインにするというのはなかなか伝わりづらい。ロボットを作るとか人間のメカニズムを研究するというのは割と伝わりやすいのですが、インタラクションを研究するというのは結構、難しい、伝わりづらい部分があったなあというふうに、今思っています。
【−-】  そういう意味では、研究を始められるまでは、人工知能研究の中でも、ロボット研究の中でも、イメージ通りの研究をやっているグループなどがあるわけではなくて、ATRにそういった関心が強い方がいらっしゃって、テーマが見えてきた感じでしょうか。
【小野】  そうですね。あと、ATRというのは割と自由な環境で、僕がいた頃は予算も潤沢にあって、割と自由にやって、面白いことをやってくれればいいみたいな感じの研究所だったので、そういう意味で新しいことを始められたのかなあというふうに思います。たとえば、仮にある大学の研究室で研究を始めたとしても、昔からの方法論で昔からの研究テーマを追うということになっていたと思うのですけど、ATRのときは、割と皆さん短期間で、2~3年から長くても5~6年いてどこかに移っていくというような研究の交流の場だったので、そういうのもあって新しいことをやりやすかったのかなというふうに思っています。
【−-】  人文系だとそういった環境がほぼないので、非常に羨ましいですね。
【小野】  なるほど。
【−-】  やや違った分野だけども緩く関連し合うような人たちが、3年、5年ぐらいで交流できるというのは、すごく羨ましいです。そういうやり方は、新しいテーマをつくっていく、見つけていく上では、かなり有効な気がします。
【小野】  そうですね。あと、ATRは割と何でもクリアで、頑張って論文とかがメディアに出たり、もしくは何か賞を取ったりすると、僕は、非常勤というか、客員研究員だったのですけど、給料も上がるんですね。運営方法とか、業績に対する報酬とか、今お話ししたプロジェクトの始め方も、非常に透明性が高い。だから割とやりやすくて、あの当時のATRのような場所がまたどこかでできると人材交流の場にもなるだろうし、新しい研究テーマを始めるには最適かなと思います。
【−-】  当時の状況を知る方にぜひいろいろ伺ってみたいですね。

その2に続く

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