松原仁先生は日本を代表する人工知能研究者であるとともに、1980年代から90年代にかけてのいわゆる第2次人工知能ブーム期より、フレーム問題を中心とした人工知能に関する理論的・哲学的問題についても積極的に論じられてきました。このインタビューでは、第2次ブーム期における哲学者との交流の様子や、人工知能の可能性や限界についてのお考えをうかがいました。
哲学者との交流
【――】 まずは、これまでの研究の経緯、とくに人工知能研究と哲学との接点にかかわるようなところについて話していただけますでしょうか。
【松原】 AIUEOという勉強会があって。僕が入ったのは81年で、大学院に入ったときなんです。
77年から、中島秀之さんとか、いまはこだて未来大学の学長をやっている片桐恭弘さんとかが4人か5人で始めた。きっかけは、斎藤康巳さんという、東大の大学院からNTTに入って、この3月まで京都大学の教授をしている人が、修士のときにイギリスに留学していたのかな。そうしたら、イギリスでは結構AIという研究分野をやっていて、議論がおもしろいと。で、日本に帰ってみたら、77年は、結果的には1回目のブームと2回目のブームの谷間だから、冬の時代だったんですね。
京都大学には、それこそ長尾真先生らがいらっしゃったので、多少なりともAIの流れがあったけれども、東大には、当時やっている先生は誰もいなかったです。それで、斎藤さんが帰ってきて、AIに興味を持っているほかの研究室の人に声をかけて、2週間に1回だったと思いますけどね、土曜日の午後に勉強会を始めた。
最初のころは、まだ自分たちは大学院生で、それも修士だし、自分のネタを持っているわけではないので、AIの英語の論文を、当時だとコピーというよりは青焼きだったと思いますけど、青焼きして、担当を決めて、その担当者が説明すると。それで、それについて議論をする。僕も、AIをやりたいと思ったけど、やっている先生がいなかったので、81年にそこに入って勉強したんです。
そのメンバーが結構哲学好きというか、議論好きが多くて。AIの最先端のアルゴリズムの論文とかも読むけれども、知能とは何かとか、結構哲学的なというか、概念的なというか、そういう議論もした。例えば何を読んだかな。ペンローズのThe Emperor’s New Mindが結構話題になった。AIUEOは夏休みとかに泊まり込みで合宿もしていたんですよね。あれは1冊の本だから、合宿で読んだと思うし、サールも読んだ。あと、ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は必読書でしたが、『マインズ・アイ』とか、ああいうのも読んだ。
『マインズ・アイ』は英語で読んだと思うな、AIUEOで。だから、AIUEOでは、AI自身の技術的な勉強とともに、最初からそういう哲学的な議論を普通に学んだというのは、いま思うと恵まれていたなと思いますけどね。
それで、産業図書に江面竹彦さんという、亡くなってしまいましたが、社長までやられた方がいて。その人が、産業図書は哲学の本も出しているのだけど、AI系の本も当時取り上げるようになって。中島さんの『Prolog』は産業図書から出たし、『エキスパートシステム』という英語の本の翻訳を、AIUEO訳とかいうのでやったりして、産業図書との縁ができた。
そうしたら、産業図書はそれこそ哲学書を出してるので、当然のことながら哲学の先生とかかわりがあって。それで、AIUEOは基本的にはAI系の理系の人の研究会だったので、江面さんが寺小屋という名前の勉強会を始めた。
月1回くらいのペースで数年やったかな? 哲学者がしゃべり、AI研究者もしゃべり、それで議論を闘わせて、夜飲みに行くと。そういうのをやって、そこで土屋さん、黒崎さんと親しく知り合って。だから、『人工知能になぜ哲学が必要か』の出版も、土屋さんが紹介してくれたのだと思う。松原という人がフレーム問題というのをやっていて、これはおもしろい、大事な問題だからというので、原論文の日本語訳をくっつけて本にした。
影響としては、中身もさることながら、哲学者というのはやはり議論がうまいなと。哲学者と議論すると必ず負けるような感じなので、この人たち議論のプロだなと。あと、余談ですけど、多くの人がお酒がめちゃくちゃ強い。土屋氏も含めて。
土屋さんに言われたのかな。「酒の席でも負けるようじゃ、哲学者としてだめなんだ」って。(笑)酒飲んでて議論に負けたとかいう言いわけは哲学者はできなくて、酒の席であろうと何だろうと酔っぱらっても勝たなきゃだめだとか言われたことが、非常に記憶に残っています。
研究室は、井上博允という、知能ロボットを専門とする先生の研究室に、修士、博士と5年間行ったんですね。それはなぜかというと、AIをやっている先生がいなくて、AIをやりたい。僕は、理学部から工学部に移った。学部は理学部で、橋田浩一とかと同級生だったんです。井上先生は、本職は機械工学、ロボットなのだけど。AIをやれそうなのがその人だけだった。
いまもそうかもしれないけど、先生の紹介に、1ページずつ、研究テーマのが何個かキーワードで書いてあって。最後に「人工知能」って書いてあったんです、井上先生は。彼だけだったんです、書いている先生が。これだと思って、「志望教員 井上」と書いたんです。
ちょっと余談になりますけど、普通そういうときは学科とかが違うのだから、事前に先生にアポをとって訪ねて、「僕は人工知能やりたくて先生の研究室に行きたいんです。試験に合格したらとってください」といって、「うん」って言われたら受けるのに、非常識で、いまだに先生に言われるけど、何もせずに受けたんです、僕。アポとらずに。
【――】 授業に出ていたわけでもなかったのですか?
【松原】 授業も受けず。学部は違うし、授業も受けず。だから、すごいですよ。修士の面接試験が初対面。(笑)「松原君、普通、こういうことすると落ちるんだよ」とか言われて、後ですごい怒られた記憶はありますかど。受かってから。でもまあ、さすがにこっちも写真は知ってるし、その先生だけが根掘り葉掘り僕に聞いてくるので、この先生だろうなって。
それで、僕、学部のときから、もう将棋のプログラムとかAIっぽいことをやっていたんですけど、その先生に言われたのは、「まだ将棋とかは修士や博士のテーマにして論文が通るとは思えないので、ロボットのAIをやりなさい」と。それならば、ロボットが先生のテーマだから、一応指導できると。要するに、ロボットのAIはうまくいったら役に立つとみんな思ってくれるから、AIの中でも許容範囲だろうから、ゲームの研究は自分で好きな研究テーマができるような一人前になってからやりなさいって言われて、それもそのとおりだなと思って。
大学院でやっていたのは、ロボットのAIなんです。修士は画像系、ロボットのカメラでものを見てとかいうので、博士ではロボットシステム全体のAI化みたいな話なんです。
それで、フレーム問題。ご存じのように、マッカーシーとヘイズの論文は、結構数学的な話なんです。だけど、ロボットに何かさせようと思ったときに、ロボットがちゃんと動かないときに、こうしたときにはこう動かし、こうしたときにはこう動かすという指示をしようとしてプログラムを書くのだけど、まあ当たり前ですけど、きりがないじゃないですか。というように、ロボットのAI化をするときの現実的な問題というのが非常に悩ましいということがわかって。これはどういう問題なのかというのをいろいろ考えたり論文を調べたりしたら、AIでいうフレーム問題というのがじつはこの問題なんじゃないかと。じつは博士のときに気づいてはいたんですけど、正直言って、そんなことを博士論文のテーマにして通るとはとても思えなかったので、システムをつくって、それなりに動きましたという博士論文にして、電総研、いまの産総研に入ったんです。
入ってから、本業は画像をやっていたのですけど、フレーム問題をちょっと整理しようと思って。一般化というのは途中からつけた名前で、それこそ橋田らと議論してフレーム問題の研究を始めたのがきっかけですね。だから、多分、僕が寺子屋でもフレーム問題の話をしたと思うのですけど、認知心理とか哲学の人は、フレーム問題のことをご存じなかったと思うんです。日本人の多くは。何人かに言われたことあります、心理学者とか哲学者に。「松原君の論文を読んで、フレーム問題というのを知った」という人が多かったですね。それが、この問題にかかわるようになったきっかけですかね。だから、認知科学会の論文誌か何かに、『人工知能になぜ哲学が必要か』に収録された論文の元になった論文が載っていたりするんですね。
そうしたら、それこそ『現代思想』からお声がかかったり。黒崎さんや社会学者の大澤真幸さんとてい談したりとか。僕、その後も本は出していますけど、デビュー作がこれ(『人工知能になぜ哲学が必要か』)なんで。デビュー作が哲学本だぞ、みたいな。感謝していますけど。
【――】 このころ、デネットがフレーム問題について論じた論文の翻訳が『現代思想』に掲載されたりしていますね。
【松原】 そうですね。デネットが、フレーム問題というのを、僕とか橋田のいう結構広い意味で捉えた。マッカーシーは、フレーム問題というのは狭い、やはり数学的な意味の問題だと、最後、死ぬまでこだわってたんですね。デネットのような拡大解釈はフレーム問題じゃないとか、結構言っていた。僕は、名前は置いておいて、広いほうのフレーム問題がAIにとっては大事だと思っていた。マッカーシーには感謝はしているものの、マッカーシーの定義は狭すぎると思います。
【――】 そのころから哲学者もそのあたりの問題を論じるようになりましたね。
【松原】 そうですね。哲学者、誰に言われたか、土屋さんに言われたか黒崎さんに言われたか、それ以外の人に言われたか忘れましたが、そのときそのとき社会で注目されている事項について深く掘り下げるというのが哲学の仕事なのだと。当時は第2回目のブームでしたから、機械は知能が持てるのかとか、人間は機械かとか、そういう話が大事なテーマだと。名古屋大の先生になった戸田山さんとかもいたな、多分。
日本では、情報関係の人間にとってすら、2回目のブームが初めての本格的なブームだった。1回目のブームのときには、多分日本にAIが技術としても来ていなかったから、哲学者としても、取り上げる価値がなかった。社会的なムーブメントになっていないので。このときからだと思いますね。
【――】 AIUEOでは、実際に人工知能研究をされている工学系の研究者が、哲学的・理論的な問題にも関心を持っていて、そこにさまざまな経緯で哲学者も加わるようになったと。
【松原】 はい。土屋さんとか黒崎政男さんとかが、かかわってきて、寺小屋みたいな場もできてと、そういう感じです。あと、そういう意味では、AI学会は86年ですけど、認知科学会はもう83年にできて。あれは、心理学者とAI研究者が多いんですけど、哲学者もいた。土屋さんが最初のうちの首脳部の1人だったんですね。中島とか僕もそうだったんですけど。だから、認知科学会でも哲学的な議論を結構してたと思う、当時は。
AI学会でフレーム問題の論文を投稿したときには、査読者が困った感じというのはよくわかりましたけどね。哲学の論文ってああいうものだと思うけど、情報系、工学系の論文というのは、何かつくったとか、評価してうまくいったとかいうものなので。フレーム問題の論文は、何か、概念を整理したみたいな話で。理系の人は、ああいうのにオリジナリティーを見出すことに慣れていないこともあって。いま思うとおもしろかったですけどね。査読者の人と話がかみ合わなかった経験があります。
【――】 それでも当時はまだ、そういった哲学的、理論的な問題を許容するような、雰囲気があったわけですね。最近のAI学会の学会誌に書かれてますけれども、いまは、自然科学系の学術雑誌と同じように、課題を明確に限定しないと論文が書けなくなっていると。
【松原】 そうですね。逆に言うと、いまはそれなりにパフォーマンスが出るようになった。よくも悪くも。だから、パフォーマンスで勝負する。普通の理工系の学問と同じように。
それをよいと思う人は、成長してそこに行ったと思っているんですけど。ある世代で、人間の知能ってそんなにわかりきってないよ、そんな割り切れないよと思っている人は、どうも、最近はうまくいくことだけやっていて、ちょっと捨象している、要するにぐちゃぐちゃっとしたところは研究になりそうもないから、ここだけきれいにうまく取り出すというのをやってるんじゃないかと。僕なんかはそう思いますけどね、一部ね。
でも、2回目のブームは結果的にあんまりうまくいかなかったですから、AIが。まだ、うまくいったという研究がなかった。当時、人工知能は実験哲学だとかいっていましたものね。一応、プログラムを書く。でも、プログラムがうまく動くんじゃなくて、プログラムを動かすことによってアイデアを膨らませる、要するに、高性能なプログラム自体を世の中でうまく使うんじゃなくて、プログラムを書いて、動いたり動かなかったりするという経験を通じて、知能に関する何らかの知見をつかめるというのが当時のAIだったと思うので。そういう意味では、パフォーマンスは出ない。
第2回ブームまではパフォーマンスが出ないから、AIの研究者も哲学者ほどじゃなくても口が達者じゃないと。1のプログラムを書いて、これは原理的には10だ100だとかという。非常にトリビアルな問題を例題としては解いているんだけど、原理的には知能のこういう問題に取り組んでるんだぞという大きいことを語らないと、説得力のあるように語らないと、認めてもらえないというところがあったので。今から振り返ると、必然的に、哲学的とまで言わないかもしれないけど、思弁的になる必要があった。
【――】 逆に言うと、哲学者がこういうことはできないと、横から口を挟んでも、ひょっとしたら一理あるかもしれないと、ある程度耳を傾けてもらえたわけですね。
【松原】 そうですね。当時できてなかったから、できていないことは原理的にできないって言われても反論できないですものね。なかなかね。
やっぱり、何とかはコンピューターにはできないと言われたときの明確な反論は、できるシステムを目の前に持ってきて動かすということなので。それが2回目のブームのときはできなかったから、反論をするしかないという。だから、そのときは、はっきり言って弱いわけですね。そんなトリビアルな、それこそトイプログラムを書いて、「原理的には人間の知能だ」と言っていたから。
その分、当時のAIの研究者は、思弁的な議論に比較的なじみがあった。強かったとまでは言わないですけど、なじみがあったんだと思います。
【――】 ひょっとしたら今は状況が変わってきているかもしれないですか?
【松原】 そうですよね。今のAIをここ4、5年やっている研究者がサールを読んでるとは思えないですね。
【――】 読んで何か学ぶことがあるとも思っていないかもしれませんね。
【松原】 そうそう。
その2に続く