麻生英樹先生インタビュー(その4)

人文科学への期待

【ーー】  次は事前に用意した4番目の質問になります。人工知能研究者として、哲学者あるいはより一般に人文系の研究者に何か期待したいことというのはありますでしょうか。
【麻生】  三宅陽一郎さんのインタビューを読ませていただいたのですが、あそこで言われていることに追加することはあまりないと思います。
 哲学は、人間の知を俯瞰しようとする学問だと思います。ですから、本来は、脳の情報処理の原理について、数式を使うかテキストを使うかは分かりませんが、何か語ろうとするものだと思うのです。
 そういう意味では大いに期待はしています。三宅陽一郎さんも哲学の本をたくさん書かれていますが、ああいう意味での期待はすごくあります。
 たとえば大森荘蔵さん、井筒俊彦さん、廣松渉さんなど、やっぱり著書を読んでいると刺激を受けることがあります。直接的なアルゴリズムにつながるわけではないですけれども、そこからヒントを得られることがいろいろあると思うし、議論する意味もあると思います。
 ただ、人文系と理工系という分け方や、数学が苦手だから人文系です、というのは、もうやめたほうがいいと思います。教科書もいいものがいろいろありますし、両方ちゃんとわかって話ができるのが理想だと思います。なかなか難しいんだと思いますけど。(笑)
 そういうことができて、自分なりの考えで、人の知というのはこういうものだということを言ってくれることは、すごく期待しています。
【ーー】  なるほど。人文系の側がどう勉強するかというのはなかなか難しい問題で。われわれも、いままさにこういうプロジェクトをやっていて、人工知能研究の文献を読むのに必要な数学を勉強しつつ読んで、ということをずっとやっています。
【麻生】  例えば大学で論理学の講義があって、最終的には不完全定理なども勉強しますよね。あの講義をする人は文科系の先生ということになっていると思うんですが、あれよりは、今のディープラーニングで使われている線形代数的な数学のほうが、もちろん人によると思いますけど、ずっと易しいと思います。(笑)
 ですから、文系・理系という分け方がどうしてできちゃうのかな、というのはすごく不思議です。これも人間の脳の不思議なんじゃないかと思います。
【ーー】  たしかに、統計的な考え方とか数理的なモデルといったものは、哲学だけでなく、より広く、人文系の研究者にだんだん必要になってくるし、重要性も分かってきて、これから10年、20年でずいぶん変わってくるんじゃないかなという感じはあります
 たとえば政治学や社会学では、実際に数理的なモデルをつくって分析をするという研究も増えています。そういうことをやる人とやらない人で分化しているということはあるかもしれませんが。
【麻生】  経済も、昔から、数理経済の人と経済史をやっている人など、いろんな種類の経済学者がいますよね。だから、哲学者でもちゃんと――ちゃんとと言ったらいけないんですが、モデルというか、例えばディープラーニングのモデルをつくって研究する人も出てくるのではないかと思います。
【ーー】  実際に勉強していくと、そもそも統計的な学習というの自体が非常に重要なツールで、とくに哲学者は今まであまり知らなかった、きちんと勉強していなかったツールだということがよくわかります。演繹的な論理に関しては昔から勉強していたわけですが、統計だったり確率だったりというのは割と手薄というか、一部の人だけがきちんと勉強していたような領域になります。
【麻生】  意外とそうなんですよね。
【ーー】  それがこれだけいろいろなことのベースになってくるということが分かってくると、これからは、いわゆる記号論理学を勉強するんだったら、それと平行して統計的な推論なども勉強するというふうになっていくかもしれません。
【麻生】  そうですね。全員がやらなくてもいいと思うんですけど、ウエートがもう少し変わってくるといいなとは思います。
【ーー】  他方で、人文系、特に哲学の人間の貢献の仕方には、すくなくとも2つ、すこし違う形があるように思われます。三宅さんがおっしゃっているのは、ヒントというか触媒というか、歴史的な哲学者が言っているようなことで、それ自体は別に数理的な話ではないのだけれども、それをある意味勝手に解釈してモデル化するとこんな可能性があるというような、新しいモデルや手法のヒントになれば有用だというものです。そういうことであれば、昔の哲学者の書いていることでも、刺激になれば役に立つことになります。
【麻生】  そうですね。それは現象学などもそうですし、あると思います。
 今の状況だとそれがほとんどで、哲学者の方が実際にモデルつくりました、って言ってくる場合は少ないわけですけど、そのウエートが、もう少し変わっていってもいいのかなという気がします。
【ーー】  はい。本当はそういう形だけでなく、より現在進行形で論争に参加するというような形でやれると、よりよいという思いがあります。
【麻生】  ですよね。面白いなと思いますけど。
【ーー】  さきほどからたびたび出てきている2つのシステムの話や、パターン認識と記号操作を統合するというような大きな話に関して言えば、いまのところ、具体的な提案が出てきてないという段階なので、哲学なり人文科学なりの人間に関するさまざまな理論なり見方なりが、少なくとも間接的なヒントにはなり得るのかもしれないですね。
【麻生】  はい。それはなると思います。
【ーー】  そこに関しては、具体的な理論ができる前だからこそ、むしろいま貢献の余地があるのかもしれません。
【麻生】  そうですね。
【ーー】  次は最後の質問です。人工知能研究、あるいはそれに関連する問題を考える上で重要だと思う文献を、研究書でも、あるいはフィクションでも、何でも構わないので、何かあれば挙げていただけますでしょうか。
【麻生】  これ、結構難しいですよね。
【ーー】  人によって答えはいろいろですね、これは。
【麻生】  必読というわけでは全然ないんですけど、私が読んで一番影響を受けた本は、一つはデビット・マーという人の『ビジョン』という本です。この本は、脳の情報処理をどう研究するのか、どう理解するのか、という意味ですごく示唆的で、あれで十分というわけではないと思いますけれども、考え方にはすごく影響を受けたと思います。
 これと関連して、ATR の川人光男さんが書いた『脳の計算理論』という本があります。もう今は絶版になっていると思いますけれども、これもすごく好きな本ですね。
 あとは、個人的に言語に興味があったので、例えばソシュールの『一般言語学講義』や、ジャッケンドフの本も面白かったです。今の人工知能とは直結してないという感じはしますが。
 人工知能や機械学習の教科書としては、ラッセルの本と、それからビショップの本ですね。ほかにもいろいろ、最近はいい教科書が出ています。機械学習のプログラミングはこうやるんです、という本は、もちろん勉強するのは大事だし、私もマニュアルとして使っていますけど、基本的な考え方を学ぶのが大事だと思うので、ビショップの本やラッセルの本は読んだほうがいいと思います。
 あとは、挙げればいろいろあるんですけど、自由エネルギー原理についても、最近、乾さんと阪口さんが日本語のいい本を書かれて、わかりやすい解説がされています。
 ウィノグラードとフローレスの『コンピュータと認知を理解する』。これも、出版されたときは衝撃的でした。今読む意味がどこまであるのか分からないですが。
 個人的にはベイトソンが好きで、『精神の生態学』など、人間の知について書かれたものも好きです。ベイトソンも、本当にAIの草創期、哲学かどうかよく分かりませんけど、情報や人間の知について考察していた人なので面白かったです。今でも時々読んだりします。
 あとは大森荘蔵さんとか井筒俊彦さんとか・・・、それから、渡辺慧さんという物理学者でハイゼンベルクの弟子――そこに留学していたのだと思います、が書かれた『知識と推測(Knowing and Guessing)』という本にも影響を受けました。
【ーー】  ありがとうございます。最初に挙げてくださったマーや川人先生の本は、計算論的なアプローチがまた最近注目されているので、興味深いですね。
【麻生】  そうですね。乾さんが解説されていますが、川人さんの本には自由エネルギー原理と近いことが書かれていますし、最終的には道具の使用や思考というところに行こうとされているので、そういう意味では未だにすごく刺激的です。

【ーー】  事前に用意した質問は一通り伺いました。やはり、何度もお話に出てきましたけが、パターン認識的なものとシンボル的なものをどうつなげていくかということが一番のテーマですね。
【麻生】  結局そこに尽きるので、それが何とか、生きているうちに解明されてほしいなと思います。(笑)
【ーー】  そこに関して何かいいアイデアがある人は、ぜひ研究に加わってくださいという感じでしょうか。
【麻生】  そうですね。今まさに、世界的に、それが解かれつつあるところなんじゃないかなと思っています。
【ーー】  そういう意味では、意欲のある人はその問題にぜひ取り組んでほしいという。
【麻生】  そうなんですけど、逆に言うと難しいので、人に勧めるのは躊躇します。
【ーー】  なるほど。(笑)
【麻生】  ほかにもちゃんと仕事があって、でも本質的な問題の一つとして取り組んでもらえるような人だったらいいと思うんですけど。(笑)
 論文書かなきゃ駄目です、っていう人にはちょっと勧められないので。
【ーー】  画像認識とか、そういった具体的な研究テーマでちゃんと論文も書きつつ、でも、それだけで終わらないで、やはり大きな話にも取り組んでほしいということですね。
【麻生】  そういう人がもう少し増えるといいなと思います。アメリカなどと較べると、日本は、画像の人は画像、言語の人は言語というのが、比率として多いのかなという感じもするので、もう少し、クロスしたところをやる人が増えるといいな、というのはあります。
【ーー】  そういうところから、大きな問題に対する何か解決も見えてくるかもしれませんね。
【麻生】  ええ。まあ難しいんですけど。(笑)
【ーー】  最後のお話は、若い研究者へのメッセージとしても非常に重要だと思います。
【麻生】  こういう機会を与えていただいてありがとうございました。
【ーー】  どうもありがとうございました。

2022年3月22日、Zoomによるオンラインインタビュー
聞き手:鈴木貴之

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