黒崎政男先生インタビュー(その2)

第2次ブームから第3次ブームへ

【黒崎】  その後、もう人工知能は果たせぬ夢だったなと思って忘れているうちに、チェスでコンピュータが人間に勝ったというニュースが突然流れてきました。1997年だったと思いますけれども。ぼーっと生きてたら、え?みたいなことが突然起こったわけです。当時の新聞でも、「人工知能の勝利記念日」っていう見出しが躍ってました。それで、ある記者に、あれって本当に勝利記念日なんですかね、人間は負けたんですかねっていうことを言われたので、哲学の視点から記事を書いた。朝日新聞に書いたのが、「人はチェスで負けたのか」っていう記事です。この文章は高校の現代文の教科書にも取り上げられ、最近までよく載っていたようです。
 そのときに私のとった戦略は、コンピューターは1秒間に2億手も読む、ランダムに読むと。人間は1秒間におそらく明示的には5、6手しか読めてない。それなのに何で匹敵するんだと。意味のない2億手と意味のある数手が匹敵するということのほうがむしろすごいことなんじゃないかと。そうすると、人間の持っている状況把握力とか直観能力とかというものはものすごい能力なんじゃないのか。むしろ、人間の直観的能力のすごさが逆に浮き彫りにされたのがディープ・ブルーの問題じゃないかと論じた。
 まあ、正直言って、ぎりぎりの戦略ですよね。負けたけど2億手と数手が匹敵する。そうすると、そこで直観と呼ばれている神秘的な能力は何なのか、そんなふうな問題になるわけですよね。
 例えばチャールズ・サンダース・パースは、直観能力っていうのは一切ないんだ、全ては記号なんだというふうに直観主義を否定する哲学を展開していました。19世紀後半ですね。それがまたこのAI問題にぴったり乗っかる。これについては、『インターコミュニケーション』というNTTが出していた季刊雑誌に「記号と直観」[『カオス系の暗礁めぐる哲学の魚』所収]という連載をして。私は、近世哲学に存在していた記号論をぶっ潰したのがカントだという立場をとっていたので、その問題を絡めて論じました。
 そして、チェス・コンピュータの話しから10年以上経ちます。2011年ですかね、IBMが作ったワトソンがJeopardy!というクイズ番組で勝利したというニュースが流れてきました。ちょうどそのときに「サイエンスZERO」というNHKのEテレの番組にコメンテーターとして出ていたので、そこで2回にわたってワトソンを取り上げた。そのときの自分を見ていると、まだ上から目線だったんです。「へー、すごいね、人間の言葉を理解しないとわかんないのに、ここまで来ましたか」みたいなことをIBMの開発者に向かって言っていた。
 あのころ、AIはチェスはできるけれども、将棋は無理だと言われていた。ところがあれよあれよという間に将棋にも勝利し、その後に囲碁も。アルファ碁が出てきたあたりで、あれれ、みたいな。
 相前後して、そのときにシンギュラリティの話が出てきてて、第3次ブームに入ってきたわけですよね。深層学習。この変化の基本には、machine who thinksからmachine who learnsというか、考える機械から学ぶ機械っていうふうに位相が変化した。やはり学ぶほうは勝手に学ぶ可能性があるので。コンピュータは教えたことしかできないというのが90年代までの決まり文句で、結局AIはそこを超えられないだろうと言われていた。自己学習する機能を手に入れた途端、状況はかなり変わったんじゃないかと思いますよね。

【――】  そういう意味では、第3次ブーム期になって、ちょっと事情が変わってきているんじゃないかという感覚をお持ちでしょうか。
【黒崎】  ええ、変わりました。前は、上から「人間ってそんな簡単じゃないよ」っていうことを言っていた。
【――】  それで片づいていたと。
【黒崎】  そうですね。それがちょっと難しくなった。
 それまではアンドロイド的視点が有効だった。つまり、人間らしいもの、人間に似たものをつくろう、人間を模倣しながら何かやっていこうという動きだったんですけど、2013年あたりから、もう人間の知能は関係なくてもいいかもしれない、独自の知能として発展してしまうかもしれないということが感じられ始めた。つまり、そのときに私が感じていたのは、<アンドロイド>から<超知性>へっていう枠組みの変化だった。つまり、人間の知能と比較してどうか、人間の知能と考えてどうかっていうこととは関係なしに、知性そのものというのがもしかしたらあり得て、それは独自の展開をするということもあり得ると。
 例えば、飛ぶという成果を達成するために、人間は鳥の羽をまねて、何で飛べるのかって考えてた。羽をつけてみたり何かしてみたりして飛行機でもいいけどやってみてたんだけど、他方でジェットエンジンというのを勝手に開発して飛んでしまうと。そうすると、羽でなぜ飛べるのかという問題はどうでもよくて、とにかく別な仕方で飛んでしまって目的は達成する。じゃあそれでいいんじゃないの、飛ぶということに焦点を絞ればそれでいいんじゃないかってことになる。
 2013年でしたね。アンドロイド的なるものから超知性的なるものっていうことを、私が強く意識したのは。そうすると、人工知能の視点はかなり変わっていくと。そうすると、人間とは何かを逆照射してくれた人工知能問題とは別に、もうそれとは関係なしに、何でそうやってるのかはわかんないけど、結果は合っているという形での知性、超知性として発展し始めたというのが、私にとっては第3次ブームの見え方というか、風景だと思うんですね。
【――】  人工知能研究者の問題意識なり課題設定も変わってきているだろうし、ひょっとしたら社会の期待も変わってきているということでしょうか。
【黒崎】  そうですね。だから今までは人工知能というのはどちらかというと思弁的な楽しみというと何ですけれども、哲学そのものだった側面があって。工学的にできない、我々が人間ってこうだと思っているからそれを乗っけてみているのにできないとすると、我々の自己理解がまだ不十分なんじゃないかと。その不十分さが人工知能ができないことにつながっているんだと。そういう論理設定で来たわけですよね。そうすると、まさに哲学そのものという側面をずっと人工知能は持っていたんですけれども、超知性の話になると、人間がどう考えているかは関係なくて、とにかくできればいいっていう話になって、それが独自に発展すると。
 例えば、碁だってアルファ碁からアルファゼロになって、もう圧倒的になってしまったわけですよね。そうすると、彼らのやり方は我々でいうと8,500年分を数日で学習しちゃうとか、それはアンドロイドではなく、独自の存在として発展していると。次元が哲学的側面から現実的側面というか、実際的、社会的、政治的側面に移ったという感じがあります。職業を奪うのかという社会問題だったり、実用的になったので突然人々の関心を呼ぶ現実的な問題になったというのが第3次ブームなんでしょうね。
【――】  現在の状況では、実際の人工知能がよくわからないけれどもとにかくすごい能力を持っているというものになって、ブラックボックス性があまりにも高いので、人間の知性と対比するにもしようがないという感じになりつつあるわけですね。
【黒崎】  だから、人間との対比においてできたりできなかったりというところがやっぱりおもしろかったのですが、そのあたりから、哲学的問題というよりは社会的問題、政治的問題にちょっとシフトしましたよね。

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