堀浩一先生インタビュー(その1)

堀浩一先生(東京大学大学院工学研究科教授)は、第2次人工知能ブーム期から、発想支援システムの開発など、独自の観点から人工知能研究を進められてきました。また、2019年度の人工知能学会では人工知能の哲学セッションで講演をされるなど、人工知能研究をめぐる理論的な問題についても、積極的に議論をされています。このインタビューでは、堀先生ご自身の研究の歴史から、現在の人工知能をめぐる科学技術論的な問題関心まで、幅広い話題をお話しいただきました。

エキスパートシステムから発想支援へ

【――】  最初に、人工知能研究における先生のお仕事や、それとの関連で、理論的な問題や哲学的な問題へのご関心、あるいは哲学者や人文系の研究者との交流の経緯について伺いたいのですが。
【堀】  はい。では、私自身の研究のパーソナルヒストリーということで、大学院時代から振り返りますと、もともとは電子工学科にいたんです。指導教官は、猪瀬博先生という、もともとはデジタル通信が専門の先生でした。猪瀬先生は、現在の国立情報学研究所、その前身の学術情報センターというのを設立された先生です。今後、情報というのが重要な資産になる、それで、学術情報のようなものをきちんとデータベースとして蓄えることが国の基本方針として必要だということで、デジタル通信の研究室の中で、データベースの研究というのが一つ大きなテーマでした。
 僕自身は、修士論文のときから、データベースのインターフェースをもうちょっと使いやすくしたいということで、自然言語の研究に入りました。そこからAIに近づいていくんですが、自然言語理解をやっていると、どうしても知識が必要で、じゃあ知識を計算機に与えるというときに、計算機に自分で学習してほしいというので、機械学習の始まりにかかわるようになったんです。それで、自然言語理解のための知識の表現と学習というテーマで博士論文を書きました。
 それで研究をやっていると、機械に知識を与えるとか学習をさせるというときに、特に知識というのがよくわからないわけですよね。第2次AIブームが、ちょうど僕らがドクター出たころ、1980年代前半に起こって、エキスパートシステムというのが世の中で非常に流行して、計算機に専門知識を与えれば、専門家と同じような仕事ができるだろうと言われていた。それでやり始めたわけですが、やっていると、どうもいろんな専門領域の先生方と一緒に仕事をしても、専門家が自分の知識を語れないんですね。
 例えば、高分子化学の先生と一緒に新しい薬を設計するようなシステムをつくろうと。それで、計算機が、ベンゼン環がつながった分子構造を提案すると、「こっちの構造はおもしろいのに、こっちはつまんないね」とか見ておっしゃるので、「どうしてこっちがおもしろくて、こっちがつまんないんですか、それをルール化して説明してくれませんか」とお願いすると、「それが言葉で言えるぐらいなら高分子やっていないんだよね」とおっしゃる。そういうのがあらゆる領域で起こるんですね。
 それで、そもそも人間の知識ってどうなっているんだろうというのが基本的な問題だということで、哲学の先生方とも議論をするという場面が出てきました。最初は、僕ら情報系の人間、工学部の人間と人文の哲学の先生は全く接点がなかったんですが、最初につないでくださったのは、出版社の産業図書という会社の編集者の江面竹彦さんという方です。松原さんのときもそういう話、出ていましたね。
 後に産業図書の社長をなさった江面さんが、人工知能ということで、若者が元気にいい加減なことを言っているから、ちょっと哲学のことをちゃんと勉強してもらおう、つなごうといって、寺子屋という勉強会をつくってくださったんですね。月1回ぐらいだったと思いますけれども、若手の人工知能研究者と若手の哲学者を集めて勉強会を開いてくださったんです。そのときに、土屋俊さんとか黒崎政男さんとか、村田純一先生もいらっしゃっていました。それから、東北の現象学の野家啓一先生とかも来てくださって、一緒に。哲学の先生がそれぞれ毎回何かのテーマを、基礎的なことを話してくださって、それに関連してAIの連中と一緒に議論すると。
 それで、野家先生がフッサールの話をしてくださって、土屋さんはプラトンの話をしてくれましたね。村田先生は何だったかな。あと、加藤尚武先生が、カントの話をしてくれた。大森荘蔵先生も出てきてくださったことがあるんですけどね。そのときはですね、記号をめぐるわりと基礎的な議論をしたんだったと思いますけどね。それはもう純粋に知的議論を楽しむというところでした。
 僕自身は随分、言葉にできない知識って何だろうというところで、ポランニーの『暗黙知の次元』とか、井筒俊彦先生の東洋哲学の話とか、そういうところに興味を持った。
 それで、どうも言葉以前の知識の何らかの状態、言葉になる以前のもやもやした状態のようなところが非常に気になって、そこから言語化していく段階を支援するようなシステムを作りたいということで、発想支援系に移りました。
 知識をなかなか専門家が語れないというときに、研究者が2つの立場に分かれたんですが、僕がとったのは、その一方です。専門家から知識を引き出そうとしているときに、いろいろやっているときには、結局、専門家と議論しながら新しい知識表現をつくっているんですよね、そこで。専門家の中にあった言語化されていないものを体系化して、我々が用意している知識表現の中で新しい知識の体系をつくるということを、事実上やっているんだと認識して、だったら新しい知識をつくるプロセスそのものにかかわってみたいと。それで、計算機が適切な刺激を与えると、人間が今まで上手に言語化できなかったものを言語化し始めるんじゃないかという仮説で、発想支援のシステムというのをいろいろつくり始めるということをやりました。
 もう一つの大きな流れは、溝口理一郎先生たちのオントロジーの仕事で、かっちりした知識がないのだとすれば、かっちりした知識の体系を手でとにかくつくろうということで、一からきちんとつくっていくという仕事を、溝口理一郎先生たちがされていた。
 当初は、発想支援系の人とオントロジー系の人ってわりと議論が対立していたんですね。僕なんかはオントロジーでかっちり書いた知識って、文脈が変わるともう使えないんじゃないか、文脈依存性に対処できないんじゃないかということをすごく気にしていましたし、溝口先生は、僕のようなその場でどんどん動的に知識をつくり変えるという立場は、あまりに安定点がなさ過ぎる、いつまでたっても安定しないと。そういうふうに当初は対立していたんですが、結局のところ、まあ、両方必要だよねと。両方がお互いに組み合わさって、動的に組みかえる部分とかっちりつくる部分、両方やらなきゃいけないんじゃないかなということになってきました。
 それで、溝口先生のオントロジーのグループはオントロジーのグループで、哲学者のオントロジーの人たちとの共同研究というのがあったと聞いています。
【――】  1990年代の終わり、2000年代初めくらいに、オントロジー工学が哲学でも話題になりました。
【堀】  慶応の岡田光弘先生とかがそうですね。
【――】  今の話と関連してうかがいたいのですが、もともとはエキスパートシステムの正統的なアプローチをされていて、それだとあまりうまくいかないというのが実感としてあったと。
【――】  それと違った形でというのは、かなり早い段階から思われていたと。
【堀】  ええ。
【――】  そこで発想支援のほうに、かなり早い段階でアプローチを転換されたと。
【堀】  そうです。特に、私は電子工学の博士課程を出たあと、当時の文部省直轄の国文学の研究所にいたので、国文学研究のためのデータベースとかAIのシステムの仕事をやっていたんですね。
 国文学者と仕事をしていると非常におもしろくて、国文学の論文というのは一つ一つが作品なんだから、キーワードなんてつけられないと先生方はおっしゃるんですよ。長い論文を読んでもらわないとしようがないと。でも、論文検索システムは欲しいとおっしゃるんです。それで、ある文学のキーワードを一つ与えたときに、あの先生の言う何とかと僕の言う何とかは違うんだとおっしゃるので、じゃあ、あの先生の概念と先生の概念の違いを扱えるような検索システム、言葉と何らかの概念空間をつなぐというシステムをつくりたいと。
 それで、文学の先生と議論して、最終的には、作品とか作家のきちんとコントロールされた情報との間にキーワードを結びつけると、僕の場合は、このキーワードがある先生の場合はこの作家に近いし、あの先生の場合はこっちの作家に近いみたいな空間表現ができるというのをつくりました。
 それとかが実は発想支援システムのきっかけになって、それぞれの人が思う言葉と世界とのつながりというに、どういう個人差があったり、あるいはそれがどう時間的に変化していくのかというのを扱いたいなということで。
 ですので、エキスパートシステムがはやり始めた初期から、エキスパートシステムのやり方ではうまくいかないなというのは、もう実感として持っていました。
【――】  これは後の話とも関係しますけれども、そういう意味で、人間の専門家を完全に代替するというよりは、むしろ人間の専門家をより発揮させるアプローチのほうが有望ということは、かなり早い段階から考えられていたと。
【堀】  そうですね。ウィノグラードの本が出たのは何年ですかね。
【――】  1980年代半ばぐらいですね[原著は1986年、邦訳は1989年]。
【堀】  平賀譲さんが訳している。
【――】  そうですね。
【堀】  ちょうどそれとも合致していましたよね。人間代替型のAIじゃなくて、人間の能力拡大というところ。
 それで、僕自身はもうドクター出て、国文学の先生方と仕事をする中で、そういう方向にもう傾いていたということになりますね。
【――】  ある意味では、かなり早い段階から、主流の人工知能研究のアプローチとは違う方向を志向していたと。
【堀】  ええ、ええ、そうです。なので、発想支援とか言い始めたときには、先生方からは非常に心配されて、そんなことをやっていたら教授になれないからやめたほうがいいと、よその大学の先生が親切におっしゃってくださったりしました。
 一つには、定量的評価ができないんですよね。再現性も弱いし、客観性とか普遍性とか再現可能性という自然科学の規範とあまり相入れない領域なので、当初は否定的な人が多かったです、特に国内は。
 それで、研究資金は正統派の知識表現の研究でもらっていたので、ヨーロッパの先生と主流のテーマで共同研究しているときに、実は僕、こういうのをほんとうはやろうとしているんだって話をイギリスの先生にしたら、イギリスの先生も、実は僕もそうなんだとおっしゃって、小さなワークショップを始めてですね、Creativity & Cognitionという創造性にかかわるもの。それが現在ではACMの大きな立派な国際会議に育っています。僕は大きくなったころからはもう関与していませんけれども。
【――】  哲学では、こういう方向性のほうが有望なんじゃないかという話は、第2次人工知能ブームや第5世代コンピューターが行き詰まったころに出てきて、広く受け入れられるようになりました。そういう意味では、理論的な分析が出る前に、すでにこれはうまくいかないという感覚があったわけですね。
【堀】  そうですね。それで、そういうことを言い始めたときに、『現代思想』の編集者が声をかけてくれた。何か書けといわれて、「知識の姿」というのを。いつだったかな[1991年6月号]。
【――】  これですね。コピーがあります。
【堀】  多分それが、文科系の方がたくさん引用してくださった論文。
 僕が国文学研究資料館にいたのが84年から88年ですから。それで、88年に東大の先端研ができて、すぐにそこに移りまして、先端研でいろんな知識処理システムを親分と一緒につくっていた。
【――】  そのころから、人文系の研究者との交流は、だんだん少なくなっていきましたね。全体的に。
【堀】  そうですね。寺子屋みたいなのが終わっているという意味では、そうかもしれないですね。
 でも、土屋さんとか黒崎さんとかとは引き続きしょっちゅう議論はしていたんですよね。
【――】  現代思想のこの号は、テーマが教育です。
【堀】  ええ、そうそう。教育に何ができるかですよね。
【――】  そのころ東大の教育学部には佐伯胖先生がいらっしゃいました。認知科学の中でも、知識の工学系の動きがあったのではないでしょうか。
【堀】  まさにそうですね。
【――】  ご交流もあった?
【堀】  佐伯先生とはもう、いつも議論していましたね。あと佐伯先生のところのお弟子さんの鈴木宏昭さん、今、青学にいる認知科学の先生とかですね。

その2
その3