4Eなるムーブメントー第2次人工知能ブーム以降の心の科学と哲学ー

 1970年代から80年代にかけての第2次人工知能ブーム時に、人工知能の「知性」と人間の知性との原理的違いを主張し、反人工知能論の騎手として論陣を張った代表的哲学者にH・ドレイファス(1929-2017)がいる。彼が展開した反人工知能論のポイントをまとめれば、次のようになるだろう(ドレイファス, 1992)。
 人工知能研究が前提としている人間観、より特定的には知性や思考をはじめとする心のはたらきについての見方は一昔前の誤った見方であり、哲学的議論において二〇世紀に入りすでに乗り越えられている―人間の心のはたらきは記号と呼ばれるアイテムの規則にしたがった形式的操作であるという前提こそ誤っており、人工知能研究はこの誤った知性観に則って心のはたらきの工学的再現を目指している―。ドレイファスは、二〇世紀の哲学、特にハイデガー、メルロ=ポンティ、ウィトゲンシュタインらを援用しながら、こうした古い知性観・心観に代わる見方、すなわち世界の内に世界とともにあり、世界と相互作用する身体的な世界内存在としての知性観・心観を強調していた。とりわけ、チェスの上級者や自動車運転の熟練者、医者といった人間のエキスパートたちが見せる巧みな振る舞いが、抽象的記号の形式的操作に基づいてはいないことを論じたくだりは説得力のある強力な反人工知能論となっていた(ドレイファス, H., ドレイファス, S., 1987)。エキスパートは、これまでの経験から言語記号には明示化できない「知識」を身体的に獲得し、現在の状況を知覚し「直観的」に状況に対処することができる。世界と身体との相互作用、身体に根拠をもつ暗黙知の直観性が、反人工知能論の強い論拠だったのである。
 その後、人工知能研究はそれまでの勢いを失ってしまうが、ドレイファスの論点、すなわち身体性や身体的世界内存在という人間の独自の存在体制が知性を始め心のはたらきを強く制約するという見解は、心の哲学と科学(認知科学)の中で徐々に確立され、1990年代以降は一つの太い研究方針として現在まで続く流れを作っていった。それが4Eと呼ばれる動向である。
 4Eは、単純化すれば、認知科学や心の哲学で主流であった計算主義的・表象主義的アプローチへの批判として、eを頭文字とする4つの立場―embodied(身体化された), embedded(状況に埋め込まれた), extended(拡張された), enactive(行為志向的な)―の総称である。心の科学や哲学は、認知を表象の操作と見なす計算主義(認知主義)と、認知過程である表象操作は個体の脳で営まれるとする方法論的個体主義を大前提としていた。しかしながら、4つのeのどの立場も、論点の違いはあるものの、認知が脳だけの働きにより実現するのではなく、身体、身体を取り囲む環境、環境に設えられた道具や制度、さらには他者たちとの相互行為や、相互行為を統制する規範や慣習、それらの備わった社会的文化的環境にまで依存していると主張し、生きて活動する身体と身体に媒介された周囲・外部とが、認知過程に強い影響を及ぼしていることをはっきり指摘したのである。そして2000年代以降、身体性認知科学(embodied cognitive science)という名称で、4Eは心の科学と哲学のなかで市民権を得るまでに立派に成長した。直近では2018年に約1000頁にも及ぶ大きな論集The Oxford Handbook of 4E Cognition(Newen, A., De Bruin, L., and Gallagher, S.(eds.) Oxford University Press)が刊行され、のべ64人の心の科学・哲学に携わる研究者が寄稿し、4Eの批判的検討、新たなアイディアの提示、相互の強調点の違い、eの内実の再検討など多岐に論じられている。まさに4Eの可能性は議論の真最中だと言っても過言ではない。
 以下では4Eの各立場の見解を手短に見てみたい。ただし、それぞれのeは確固とした内容をもった理論や方法から成り立っているというよりも、反計算主義(反認知主義)・反個体主義を最大公約数とした、お互いに重なり合う部分をもちつつも同一ではない、広く緩やかな同盟性をもった運動として理解した方がよい。

1. embodied(身体化された)

 この立場は、認知(推論、記憶、思考、知覚)には単に身体的基盤(生理学的基盤)があるというだけでなく、身体と環境との相互作用にともなって生じる経験に認知が強く依存していることを主張する。他の3つのeとともに、身体性認知科学として、計算主義(認知主義)に替わる心の科学の新パラダイムとなった。身体性を認知の本質とするこの見方では、心のはたらきは単に脳や神経系のはたらきによって実現されているだけでなく、質量と延長と特定の形を持ち、特定の動きをする物質的身体からの影響と制約を徹底的に受けているとされる。その意味では、真の意味での認知(心のはたらき)をもつことができるのは、身体をもち、環境と相互作用することによって行動を生成する主体だけであることになる。この見方が正しければ、身体性は認知の不可欠な要因である。
 認知意味論と呼ばれる言語学の領域では、身体行為の経験から、言語表現・言語理解の原型となる「運動イメージ図式」が発生し、この運動イメージ図式が言葉の比喩的な意味に投射されることで、比喩を用いた文・言葉をわたしたちは理解できるとされる(ジョンソン, M., 1991)。認知の身体性という見方は、身体を入力と出力の装置にしか見ていなかったそれまでの身体観に大幅な変更を迫り、環境の中で動きる生きた身体が、知覚・行動・言語理解・思考のはたらきをいかに積極的に支えているかを教えてくれる。
 文献は多数ある。代表的なものとしては、Varela et. al.(1991); Pfeifer, R. & Scheier, C. (1999), プファイアー&ボンガード(2010)を参照願いたい。

2. embedded(状況に埋め込まれた)

 心のはたらきが環境と相互作用する生きた身体のあり方に強く制約を受けるという身体性の考え方を、心のはたらきの状況依存性を強調して捉え返したのがこのアプローチである。環境と相互作用する身体は、状況に埋め込まれおり、認知はそうした状況を利用して行われるという見方である。ここで言われる「状況」には、文化や社会の影響を被った道具・慣習・ルール・制度・他人の行動・言語など、さまざまなメディアが含まれる。物質的な身体は、常にそうした身体外部のさまざまなリソースによって取り囲まれているが、日常的な問題解決場面での心のはたらきは、そうしたリソースを利用して行われる。他方でリソースの存在は、心のはたらきの制約ともなる。
 ソビエト心理学の活動理論の流れを汲むヴィゴツキー派の発達や学習についての考え方や、認知への社会文化的アプローチと呼ばれる潮流がこの立場であり、これらの立場は心の哲学での文脈とは独立に1980年代に心のはたらきの状況依存性を独自に研究し展開していた。この立場は、認知の状況主義(situated cognition)と呼ばれることもあり、さらには認知が個体の頭の中で実行される過程ではなく、道具や他者とともに周囲に分散して行われる過程である点を強調して拡散認知(distributed cognition)と呼ばれることもある。
 文献としては、Vygotsky (1934); Hutchins, (1995); Lave, (1988); Lave & Wenger (1991); Norman (1988)、邦語文献としては加藤浩・有元典文(編著)(2001)、茂呂雄二(編著)(2001)、上野直樹(編著)(2001)、上野直樹(1999)を参照願いたい。

3. enactive(行為志向的)

 enactの辞書的な意味は「立法化する」「法制化する」あるいは「(ある役割を役者が)演じる」であるが、en+actとして字義どおり「行為化する」あるいは「行為によって創出する」と解し、これを形容詞化したのがenactiveである。一言で言えば、認知(特に知覚認知)は一種の身体的行為に他ならないとする、認識を行為に同化させる立場である。
 より具体的には、認知の基本単位を身体的な感覚−運動パタンとし、このパタンの組み合わせから、知覚認知される対象の意味(行為に関連性をもつ意味)、そうした意味を利用した身体運動の制御、さらには概念の意味内容が構成されるとする見解を採用する。この立場では、認知の第一の目的が客観的な事実認識ではなく、限定された環境内で適応的に行為し生活することにあるとされるため、認知の進行は身体的振る舞いの進行と不可分であることも強調される。
 たとえば、環境が知覚的にどう現れるのかということと、身体の姿勢・運動の変化とが相関しており、この相関のあり方が、知覚経験されるモノや状況の意味(何であるか)を決定する。対象が何であるか、状況がどうであるか、ということが意識的に判断され思い込まれる以前の段階で、<知覚認知−運動的な非概念的状況把握>がすでに実行されており、この把握があってこそ言葉や概念の意味の理解やその意味をとおした身体運動の調整ができると考えられている。
 最初にこの概念を使用したのはオートポイエーシスシステム論者のヴァレラであり、その後、現代に至るまで多方向から論じられている。
 文献としては以下を参照。Varela et. al.(1991), Thompson et. al.(1992), Noё (2004), Thompson(2007)などを参照のこと。

4. extended(拡張性、拡張された)

 認知は身体外のリソースを利用している―認知の状況性―だけでなく、利用されたリソースは認知過程の一部分を構成しているとする、状況性よりも一歩進んだ考え方が、認知の拡張性である。身体外のリソースが認知過程の部分系であるなら、認知過程は皮膚を越境し外部環境へと拡張していると考えらえることになる。つまり、認知過程とは、脳神経、身体、環境を横断する一大システムが織りなす全体的活動であり、身体内の脳だけに認知の座を限定するのは間違っているというラディカルな見解をこの立場は打ち出した。
 単純なところでは、杖や望遠鏡や顕微鏡といった道具を使用することで知覚経験(触覚や視覚)は拡張できる。電卓やコンピュータによって思考経験も拡張する。環境のなかに設えられた道具や技術的媒介装置を利用することで、それまで実現できない経験を創り出すことができるようになる。そうした道具や装置は、文字通り(つまり比喩的な意味ではなく)認知過程の一部をなしている。これらは認知過程が頭の中に閉じておらず、外部環境へと延び広がることの身近な事例である。近年では、他者を自己の経験の構成要素と見なし、経験の「社会的拡張」も主張されている。
 代表的な心の哲学者であるクラークとチャーマーズが1990年代の終わりに、認知の拡張性を主題にした論文を発表として以来現在まで、心の科学者や哲学者によって拡張性の話題は繰り返し取り上げられ、現在でも活発に議論されてる。
 Clark & Chalmers (1998)が火付け役論文である。Menary ed. (2010b)が議論を一望するのに役立つ。 embeddedにおける、環境リソースを用いた分散型認知システムを想定するハッチンスやノーマンの思想は、認知の拡張性としてカウントすることもできるかもしれない。

文献

Clark, A. & Chalmers, D. J. (1998) “The extended mind,” Analysis 58, no. 1, pp. 7-19.
ドレイファス, H. (1992)『コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判』黒崎政男・村若修訳、産業図書
ドレイファス, H.、ドレイファス, S. (1987)『純粋人工知能批判―コンピュータは思考を獲得できるか』椋田直子訳、アスキー
Hutchins, E. (1995) Cognition in the Wild, Cambridge (Mass.): MIT Press.
ジョンソン, M.(1991)『心のなかの身体—想像力へのパラダイム変換』、中村雅之訳、紀ノ国屋出版
加藤浩・有元典文(編著)(2001)『状況論的アプローチ② 認知的道具のデザイン』、金子書房
Lave, G. & Wenger, E., (1991), Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation, Cambridge: Cambridge University Press. 佐伯胖(訳)、『状況に埋め込まれた学習:正統的周辺参加』、1993、産業図書
Lave, G., (1988), Cognition in Practice: Mind, Mathematics and Culture in Every Life, Cambridge: Cambridge University Press. 無藤隆ほか(訳)、『日常生活の認知行動:ひとは日常生活でどう計算し、実践するか』、1995、新曜社
Menary, R. (2010a) “Introduction to the special issue of 4E cognition.” Phenomenology and the Cognitive Sciences, vol.9, 459-463.
茂呂雄二(編著)(2001)『状況論的アプローチ③ 実践のエスノグラフィー』、金子書房
Noё , A. (2004) Action in Perception, Cambridge (Mass.): MIT Press. 門脇俊介・ 石原孝二・飯嶋裕治・池田喬・文景楠・吉田恵吾(訳)『行為のなかの知覚』、二〇一〇年、勁草書房
Norman, D. A., (1988), The Psychology of Everyday Things; Basic Books. 宮島久雄 (訳) 、『誰のためのデザイン?認知科学者のデザイン原論』、1989、新曜社
Pfeifer, R. & Scheier, C. (1999) Understanding Intelligence, Cambridge (Mass.) : MIT Press.『知能の原理 ―身体性に基づく構成論的アプローチ―』 細田耕・石黒章夫(訳)、二〇〇一年、共立出版
Rowlands, M. (2010) The New Science of the Mind: From Extended Mind to Embodied Phenomenology, Cambridge (MA.): MIT Press.
Thompson, E., Palacios, & Varela, E. J. (11992/2002) “Ways of Coloring: Comparative color vision as a case study for cognitive science,” Behavioral and Brain Science, 15, 1-26, reprinted in Noё, A. & Thompson, E. eds. (2002) Vision and Mind: Selected readings in philosophy of perception, Cambridge (Mass.): MIT Press 351-418.
上野直樹(1999)『仕事の中での学習』、東京大学出版会
上野直樹(編著)(2001)『状況論的アプローチ① 状況のインターフェイス』、金子書房
Varela, F., Thompson, E., and Rosch, E. (1991) The Embodied Mind: Cognitive science and human experience, Cambridge (Mass.): MIT Press. 田中靖夫(訳)『身体化された心―仏教思想からのエナクティヴ・アプローチ』、二〇〇一、工作舎
Vygotsky, L. S., (11934/2002), Thought and Language, Kozulin, A. (trans.), Cambridge (Mass.): MIT Press. 柴田義松(訳)、『思考と言語』、二〇〇一年、新読書社

執筆者:染谷昌義
第1版作成日:2019年5月30日